「ヒストリカル・ピアノ」について
私がオランダへ入学した時(2001年)、古楽科のフォルテピアノといえば、もっぱらバッハの息子であるカール・フィリップ・エマーヌエル・バッハ(1814-88)からショパン(1810-1849)の作品あたりまでを網羅するのが慣例であった。
つまり、ここでいうフォルテピアノの製作者といえば代表的なのは、以下の製作者である。
アンドレアス・シュタイン(1728-92)
1777年、アウグスブルクでモーツァルトと出会う。
アントン・ヴァルター(1752-1826)
エステルハージ宮殿の鍵盤楽器の修復を担当。モーツァルトやベートーヴェンが高く評価した。シューベルトもヴァルター製のスクエアピアノを所有していた。
ナネッテ・シュトライヒャー(シュタインの娘)(1769-1833)
ベートーヴェンやゲーテと親交を結ぶ。
コンラート・グラーフ(1782-1851)
ベートーヴェン、ショパン、クララ・シューマン、メンデルスゾーンが愛用。1824年ウィーンの王室の鍵盤楽器製造者に任命。1840年引退後、カール・シュタインへ会社を売却。(アンドレアス・シュタインの孫)
ヨハン・ズンぺ(1726-90)
ジルバーマン門下であったが七年戦争を避けイギリスへ。初期のイギリス式五オクターブスクエア・ピアノの主要メーカー。バッハの息子であるヨハン・クリスティアン・バッハが使用。
ジョン・ブロードウッド(1732-1812)
最初はズンぺのピアノをコピーしたが、1780年には自身の設計であるオリジナルを完成。
そして、ショパンの時代には、以下のような変遷をたどる。
イグナーツ・プレイエル(1757-1831)
1807年、ピアノ会社プレイエルを設立。息子カミーユ(1788-1855)が引き継いだ。
セバスチャン・エラール(1752-1831)
1800年製はハイドンが所有。
1803年製はベートーヴェンが所有。リストやラヴェルも愛用した。1960年に工房はガヴォーと合併。
その後も革新を続けるピアノ製造業は、
ヘンリー・E・シュタインウェイ(1797-1871)
1850年ドイツからニューヨークへ移住。1853年にスタインウェイ・アンド・サンズ社をマンハッタンに設立。
イグナーツ・ベーゼンドルファー(1796-1859)
リストの激しい演奏に耐え抜いたことで有名に。
カール・ベヒシュタイン(1826-1900)
1853年ベルリンでベヒシュタイン工場設立。1856年最初のグランドピアノを製造。
現存する会社の聞き慣れたピアノへと発展を遂げた
YAMAHA
山葉寅楠(1851-1916)
1897年現ヤマハの初代社長へ。
KAWAI
河合小市(1886-1955)
1927年現河合楽器製作所を創設。
以上の国産ピアノの歴史を見てみると、私が東京でコンサートや録音に使わせていただいた楽器、「伝説の赤いベヒシュタイン」や大田黒元雄記念公園の「1900年製シュタインウェイ」は、現代のピアノの構造や理念、スケールとは一線を画す為、【ヒストリカル・ピアノ】というカテゴリーとしてご紹介することとする。
赤い伝説のベヒシュタイン@ピアノ・パッサージュ
・文京区のピアノ・パッサージュ所蔵の【赤い伝説のベヒシュタイン】1880年製ベルリン製現代のピアノには見られないフォルテピアノからの伝統を引き継いだ平行弦ピアノ。
シュタインウェイのピアノ1900年製は西ドイツのハンブルク製@大田黒公園記念館
・杉並の大田黒公園にある音楽評論の草分け、大田黒元雄(1893-1979)がロンドンより持ち帰ったシュタインウェイのピアノ1900年製は西ドイツのハンブルク製。
大田黒記念館の洋館には1900年製のスタインウェイ社B型ピアノが残っている。西ドイツ・ハンブルグ工場で製造され、同年5月にロンドンへ出荷された後、日本へ渡った。外装はマホガニーの象嵌細工仕上げで、サロン向けに豊かで深い低音と柔らかな中高音を備えている。修復師によれば、現代では再現できない音色を持つ極めて希少な楽器である。