Story

フォルテピアノへの道4
fortepiano VS pianoforte!?

アントニオ(Antonio Piricone) さんと
演奏するめぐみさん

ゴールドベルク変奏曲
Michael Tsalka

ミヒャエル(Michael Tsalka)さんと
演奏するめぐみさん

デン・ハーグの音楽院に入学すると、とりあえずバッハの息子たちの音楽から始まった。大バッハには何人も子供がいたけれど特にカール・フィリップ・エマーニュエル・バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-1788)の音楽を集中して勉強した。バッハの音楽は【平均律】や【イタリア協奏曲】などずっとレパートリーとして取り組んでいたけど、お父さんとは全く違うエマーニュエル・バッハの音に最初は戸惑った。「多感様式」と言われる彼の音楽は、いきなり転調したり、パタっと音楽が閉じてしまったり。でも五オクターブの楽器を最大限に生かし切った鍵盤上の感覚や、時代の音ってこれか〜と思うことも多くなってきたころ、「これはモダンピアノではやりにくいな」と漠然と思うことが増えた。

卒業までの六年間、大バッハの音楽から離れてしまったし、モダンピアノでの演奏からも離れてしまった。そしてひたすら古楽のコンクールを受けたりマスタークラスを受講したりが続いた。いつの間にか自分の頭の中で、【フォルテピアノVSモダンピアノ】の構図が浮かぶようになってしかも慣れてしまっていたのだった。

私の敬愛する同僚の中で二人だけ、いつも大バッハに取り組む音楽家がいた。アントニオさん(Antonio Piricone) とミヒャエル(Michael Tsalka)さん、この二人のさりげないアドバイスはいつも私の人生を救ってくれたように思う。

アントニオさんとは学校が終わってからアムステルダムの古楽コンクールで連弾として参加、最後は古楽界の重鎮のいる中で二人でお芝居をして、しかも途中で携帯電話を鳴らす仕掛けまでした。結果はオーライだったからホッといたけど、イタリア人の遊び心は、真面目に穏便に終わらせようとした私とは真逆で、そういう経験の積み重ねが本当に音楽家として学ぶことが多かった。

そしてミヒャエルさんとの出会いは実はすでに2005年のコーネル大学であったようだが、私は忘れてしまっていて2013年に再会。すぐ日本に来てくれて彼の独創性にも度肝を抜いた。そして渡されたのが一つのCD、バッハの【ゴールドベルク変奏曲】をなんと【クラヴィコード】で全曲録音されたCDだった。

私にとってそれまでの【ゴールドベルク】はグレン・グールド(Glenn Gould1932-1982)の演奏のみ記憶していたし、こんな細部にまでじっくり聞いたことはなかった。クラヴィコードではテンポが速すぎれば音にならないのでその分時間をかけて練っていることが聞けば聞くほど面白いと思った。

そしてすかさずミヒャエルさんに、【私もクラヴィコードって弾けるかな】と電話していた。

そこからまた新しい鍵盤楽器との対話が始まった。

この二人の同僚の心意気は私にとってあるべき音楽家の姿を教えてくれている。